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漫才脳とコント脳

お笑い

なんだか、ふわっと考え始めてしまったので、記録しておきます。
ライブレポではないブログ更新は実に久しぶりかも。

先日の甘噛部屋で見た恋愛小説家の漫才から色々思ったことを書いています。ネタバレになっているので、ネタバレが気になるかたは読み進まないように気をつけてください。



昨日「甘噛部屋」というライブに行ってきました。
ブログでも何度か触れているように恋愛小説家というコンビにハマりつつあります。
そんな恋愛小説家が漫才をやっていたんですよね、普段はコントをやっているのに。
一度見た時から漫才も面白そう!と思っていたので非常にワクワクしましたし、実際面白くて震え上がったんですが、一夜明けて思い出して噛み砕いていくと、自分が想像していた漫才とはちょっと違ったのかな、と。
漫才の内容は「歌しりとりが得意」という大蜘蛛さんの提案で2人で歌しりとりをするというもの。大蜘蛛さんの歌う歌はジャパニーズレゲエというジャンルらしく、西野さんはそのジャンルには詳しくないため実際にその歌が存在するのかは不明。歌は誰がどう聞いても「そんな歌ないでしょ」というような内容。
当然ながら西野さんのあの鋭いツッコミが効いていて、それを堪能出来たことがある種の快感でもあったわけですが、よくよく考えてみると(平場での)西野さんは果たしてあのようなツッコミをするのか?ということに引っかかってきたわけです。
あくまでも私のイメージに過ぎないのですが、西野さんだったら「いや、そんな歌ないやろ」という点をもっとクドクドと衝いていくような気がするんですよね。ひたすら理詰めで。

余談ですが、ここまで思考が進んだところで、ヨシモト∞にてポイズン吉田さんが「合コンでの山手線ゲームで女性に説教した」という話*1を思い出し「自分どんだけ吉田さんのツッコミが好きなんだよ!」と思うと同時に、自分が西野さんを良い!面白い!と思ったのはそういう部分を感じたからなのかな…と妙に納得したり。

美しい漫才のように見えましたが、かなりコント師さんの見せ方で作られた漫才だったんだな、ということに気づかされ、そういえばさらば青春の光の漫才を見て「コント師だからこその漫才だ!」と興奮したこととか色々思い出したわけであります。
「コント師さんの見せ方で〜」と思ったのは、つまり、漫才は一般的には「芸人さん本人」のお喋りであってそこでの会話は*2彼らから出てきているもの、彼らの本心である(かのようにしゃべる)ものであり、だからこそキャラクターが認知されることでウケやすくなったりだとか、パブリックイメージを無視した内容にすると上手くハマらなかったりするわけで
しかしながら、恋愛小説家が見せた漫才は、私が西野さんに抱いているイメージが他の方のそれと相違なければ、彼ら本体から出てきたものではなく、あくまでも「ネタの中での彼ら」がやっていること、として扱われているように思うわけです。
舞台上の自分とネタ中の自分は違う存在だという棲み分けが、ごく自然になされている…と感じ、それがとてもコント師っぽいな、と思ったわけです。
昨日の恋愛小説家のネタで言えば、「大蜘蛛さんが死んでいる」というオチだったんですが、漫才と言えばリアリティ「あたかも今思いついたかのように喋っている」ように演じるものなのに*3現実に有りえないこと=演者が死ぬという演出をしてしまっていて、そういう発想って漫才を漫才している人達は、簡単には出来ないような気がします。一方でコント師の方はネタ中の自分が本物の自分では無いということはごく当たり前のことなので、難なく出来るのかな?と。
漫才師の方が作るコントがいまいち入り込めないことが多いのは、彼らが「自分達の延長」のキャラクターでコントを作るからなのかもしれないな、と。
コント師の方が作る漫才がメタ漫才に見えがちなのは、ネタ中の彼らは漫才師というキャラクターになっているからなのかな、と。

とかなんとか、そんなことを考えていました。
自分の中で大きな発見だったのは、自分は常に吉田さんの影を他の芸人さんにも求めているのだということです。つくづく吉田さんは自分の理想像に近い芸人さんなのだな、と思います。漫才トークや大吾組でのように、フリートーク中の吉田さんのツッコミを聞きたいものです。

*1:どのジャンルでも圧勝してしまう吉田さんを負かすために女性陣が「cancamモデル」というお題を提示してきたために負けてしまった吉田さんが「cancamモデルは今この場にいる人数より多いんだろうな!?(一周できないんだったらゲームとして成立しないため)」と詰め寄り、一人ずつ名前をあげさせたため、場が凍りついた…というお話

*2:もちろん「ネタ」であることが前提とはなっているのですが

*3:一概には言い切れないでしょうが私はそういうものだと思っている、ということで